掛け算の順序を逆にしたらバツにされた
「4×3」と「3×4」は,同じなのか違うのか,というもので,小学2年生が「3×4」と回答したら,正解は「4×3」であるとしてバツにされたことについて,そのお父さんが異議を唱えるものとしてホームページ上に出されたものです。
どちらも計算結果は「12」であり,どちらでもいいように思いますが,日本での小学校の掛け算を教える最初の場面において順序を定めている(当時はそうだった)そうです。
このことの是非を考える動画がありましたので紹介します。
https://www.youtube.com/watch?v=5cBTTW9n_CM
出題は,
「4人乗りのボートが3艘あります。何人乗れるかを計算するための計算式を書きなさい。」
というものです。
答えは,「4×3」であって,「3×4」は間違いとされているそうです。
この動画では,
「4×3」は「4+4+4」であり,
「3×4」は「3+3+3+3」であるから,ふたつは違うとしています。
とはいえ,順序が逆のものをバツとするかどうかは,物の見方の違いでしかないことも指摘しています。
この問題の核心に触れる動画だと思います。
私の考えは,「4×3」と「3×4」は違う,です。
理由を説明します。
問題の本質は,「計算を必要とする状況を,計算式に翻訳する」ことです。
「4人乗りのボートが3艘ある。同時に何人乗れるか。」を数式に翻訳するのですから,答えは,「4人を3倍にする」,つまり「4×3」なのです。
「その港には4人の船主がいて,それぞれ3艘ずつボートを所有している。その港に何艘のボートがあるか」を数式に翻訳するなら,答えは,「3×4」となります。
「計算を必要とする状況を,計算式に翻訳できるかどうか」が問題なのです。
掛け算を教える初期の場面においては,「4を3倍する」それを「4×3」と翻訳するという考え方が必要と思います。とはいえ,「数式に翻訳する」という考え方を,小学2年生に教えることは,非常に難しいのでしょう。このあたりが,バツにされたお父さんの異議(怒り)につながっているのだと思います。
リンクした動画でも,「バツにすることで,子供の知的好奇心を削ぐことがないようきちんとした説明が必要である」と指摘しています。
「数式に翻訳する」という考え方を小学2年生にどうやって教えるのか,という課題は私は触れないことにして,「数式に翻訳する」ことの大切さを示します。
この問題をさらに簡単にして,
「かごに5個のリンゴが入っている。そこへ3個のリンゴを加えた。かごの中にリンゴがいくつ入っているかを計算するための計算式を書きなさい。」
とします。
答えは,「5+3」であって,「3+5」ではないですね。結果は,どちらであっても「8」ですけど。
「かごに5個のリンゴが入っている。そこへ3個のリンゴを加えた。」
という長い文書を数式にすると「5+3」というたった3文字のものに置き換えることができるんです。これが,算数(数学)の素晴らしさなんです。
しかも「5+3」に置き換えたら,あとは機械的に足し算して「8」という答えをだせるのです。
この「5+3というたった3文字に置き換えられた,なんとすばらしいことか。」と感じられるかどうかが,その後の算数の理解ができるかどうかに影響してくるんだと考えています。
算数が理解できなくなったことの例として,アニメ映画「思い出ぽろぽろ」で,「分数の割り算で,分母・分子を逆にして掛け算する,というところからわからなくなってきた」との主人公の言葉があります。算数が苦手な人にとって,「分数の割り算」あたりが臨界点になるようです。「なぜ,分母・分子を逆にして掛け算すれば答えが出るのか」はyoutube上にも多くの動画がアップされていますから,見てください。このことを聞いて私が感じるのは,「割り算の本質が見えていなかったからだ」と思いますし,「3分の1で割ることの意味が分からないからだ」と思うのです。割り算の本質が何であるかの説明は省略させてもらいますが,割り算の本質がわかっていない人(子供)に分数の割り算を教えようとすることは,そもそも困難なことであって,しかたがないから「分母と分子を逆にして掛け算すると答えが出るよ」と解決策だけを示すことになるんです。これは分数を教えようとする先生の教え方の問題なのではなくて,割り算の本質を知ることなく計算する手法のみを習得してきたことに問題があるのです。結果として,その人(子供)へはその後の算数(数学)において,計算や算出の本質を理解させることなく,テストで点を取るための仕組みだけを教えることになるので,本人にとっても「算数は楽しくない」となります。
話を「4×3」に戻します。
これは「4を3倍する」ことです。
「4×3」は「4と3の掛け算であって,掛け算は順序を入れ替えても答えは同じ」なのだから「4×3」としようが「3×4」としようが同じだ,と考える人には,「4と3の間に記号が入っている」というように見えるのでしょう。
「4×3」の本質は,「4を3倍する」ことでして,「4」に対して「×3」という変化をさせるものです。
「4人乗りのボートが3艘あります。何人乗れるか」を考える場面において,「4人を3倍すれば答えが出せる」と判断して,それは「4の後ろに「×3」を書く」ことであり,「4×3」と数式に翻訳することで答えが導き出せる。
これが掛け算の意味なのです。
言葉を「4×3」という計算式に翻訳できる人は,「4×3」という計算式を見てその計算が意味するもとの言葉を復元することができます。ただし,4がボートの定員で3がボートの数であるとは限りませんから,4が足の本数で3が馬の頭数と翻訳するかもしれません。
算数が理解できる,掛け算が理解できるとは,計算を必要とする状況から数式に翻訳できることであり,逆に,数式だけ見てその数式が意味する状況を言葉にできることなんです。
で,振り返って,「4×3」も「3×4」もどっちでもいいではないか,と言っている人は,掛け算の本質を見ていないような気がします。
ここまで説明して,「お前が言うところの「算数の本質」だの「掛け算の本質」だのはいったい何なのだ」と言われるかもしれません。
これは,なかなか説明できないのですが,例えば,三平方の定理「A2+B2=C2」を見て美しいと思いませんか。私は美しいと思います。三平方の定理を直角三角形の斜辺の長さを算出するための道具としてだけとらえる人と,これを美しいと感じる人とでは理解に差があります。いえ,すみません。まったく「算数の本質」とは何かを説明していませんね。
数学の世界には,小学生の足し算・引き算,掛け算・割り算からはじまって,ベクトル,三角関数,微分・積分などたくさんの考え方があります。私は,三角関数が微分・積分で変化していく仕組みが楽しいですしそれを見つけ出した人を尊敬します。それは,その背景にあるものを想像できるからです。y=sinθを微分したらy=conθになるということを丸暗記するのではないからです。
私的なことを書き加えます。
私は,微分・積分は楽しかったですし,虚数・複素数も楽しかったです。高校数学までのそれは理解できました。
その先に,オイラー公式があります。私は,オイラー公式が意味するところが理解できなくはありません。証明も答えを見ていますから証明できなくはありません。でも,そこまでです。三平方の定理を美しいと感じたようにオイラー公式を美しいとは感じられないのです。表面的なことは教えられることでもって知ることはできるのですが,この公式の背景にある奥深いものを想像することができないのです。
その結果どうなるかというと,オイラー公式などを必要とするような高度の複素数の問題は,教えてもらって解こうと思えばできなくはないけど,そこまでで終わりとなります。
結局,このことは,割り算の本質を知ることなく割り算の手法だけを習得していたがために,分数の割り算に出会った時に,「分母と分子を入れ替えて掛け算するんだよ」と教えられるのと同じことです。言われたとおりにすれば答えは出ますが,理解したことにはなりません。私はオイラー公式の背景にある奥深いものを想像できませんから,数学の理解もそこまでだったのです。
振り返って,「4×3」とかくべきところを「3×4」とした子供の回答にバツをつけるのが正しいのかどうか。
ここまで,数式を必要とする状況を翻訳することの重要性として訴えてきましたから,バツなのですけど,順序を正しく書いた子供が「掛け算の本質を理解した」ものであり,逆に書いたことが「本質を理解していない」ものなのかどうかが問題です。
結局のところ,本質を理解したかどうかはその子供の心の中のことであって,測ることのできないものなのだと思います。ということは,順序の違いでその回答にバツをつけることは,デメリットの方が大きいように思います。
リンクの動画が指摘するように,その結果,子供の知的好奇心を削ぐ結果にならないように適切な説明が必要なのですが,小学2年生に「オイラー公式が理解できなかったことでもってその後の数学が理解できなくなったんだよ」と言ったところで,何も伝わりませんね。「三平方の定理は美しいでしょ」も駄目です。
「掛け算の順序の違いで,小学2年生の回答にバツをつけるかどうか」
このテーマは,それを是であるか非であるかという二者択一の問題として考えるのではなく,算数(数学)の本質を考える上で最初にぶつかる問題として考えたいです。
「掛け算は順序を入れ替えても答えは同じ」とだけ暗記して交換法則の背景にある「(1艘目4人+…+3艘目4人 or 右前席3人+…+左後席3人のような)物の見方の違いでしかない」という本質を分かっていないようでは困りますが、だからといって「4×3と3×4は違う」などと言い出したら本質から遠ざかるだけでしょう。
あと、立式は抽象化なので「数式に翻訳する」より「数式に要約する」と表現する方が妥当だと思います。
「『4×3と3×4は違う』などと言い出したら本質から遠ざかるだけでしょう」
このお話のスタートは,バツをつけられた子供さんの父親からの問題提起としてはじまったものと聞いています。小学校2年生が書いた答案にバツをつけるかどうかという点においては,「本質から遠ざかるだけ」なのかもしれません。「かもしれません」と書きましたのは,この問題提起からもうすでに数十年が経過していますから,教育現場においてバツをつけるかどうか,その子供にどのように説明するのかの十分な検討がなされ,結論が出ているものと思いますけど,私はそれを知らないので「かもしれません」と書いただけですからそのように受け取っていただけると幸いです。
私の投稿には,動画発信者の「(バツをつけるなら)その子供の知的好奇心を削ぐ結果にならないよう,適切な説明が必要である」を紹介した上で,私自身は小学校2年生へその適切な説明を持ち合わせていないことを書いています。
私の投稿では,4×3と3×4の違いを見つめています。これが算数や算術の本質を見つめる上での最初の問題としてふさわしいことだと思ったからです。ピタゴラスの定理は幾何学的事象を数式にしたものであり,公式として記された数式の後ろに膨大な物語があります。相対性理論のE=mc^2の後ろにどれだけの物語があるか。私は事象を数式に翻訳したものと表現しましたが,「数式に要約する」に置き換えるべきものなのでしょうか。数式が語ろうとしているその元となる事象を簡潔な公式として作り上げた人の功績への敬意も込めて「翻訳」と表現しただけです。いえ,「通りすがり」さんのコメントの主語は「立式は」ですから,ピタゴラスの定理やオイラー公式の導出などは含めておられないのかもしれません。私は,「翻訳する」のか「要約する」のかについては,特にこだわりはありませんので,「要約する」とすべきものであるなら,申し訳ありません,私の無知としてご容赦いただければ幸いです。
二項演算子は一般には交換可能ではないのでは、勝手に入れ換えてはいけない、というのはその通りだと思います。
しかし文章を数式に翻訳するときに、文章の中に現れる項目が数式の中にどの順序で登場するかは、様々なことの影響を受け、交換可能でないが故に数式の中では逆にしなければならない場合もあります。単純に文章の中に登場する順序で数式に登場させなければならない、とするのは明確に誤りだと思います。
他方、資格試験はパスすることが目的であり、試験の回答欄は自らの主張を表明する場ではありませんので、採点基準が間違っていようとも、採点者が点をくれる回答を書くものだと思います。
コメント頂きまして,ありがとうございます。
コメント中の「単純に文章の中に登場する順序で数式に登場させなければならない,とするのは明確に誤り」,
はい,その通りです。
文章に登場する順に数字と演算子を組み合わせたところで,正しい翻訳にはなりません。文書で記された事象を理解したことにもなりません。
そして,資格試験への分析を頂いています。正しい分析に同感です。
4×3は良くて、3×4だダメだというには、思考の自由度を奪う危険な考え方のような気がしますけどねえ。
「4人乗りのボートが3艘あります。何人乗れるかを計算するための計算式を書きなさい。」
この問題を見たときに、単純には、 4が3つあるんだから、4×3でしょうけど、これは厳密には、一隻当たり 4人乗れるボートがあって、それが3隻ある、ということです。
これを解釈する際に、乗り物が3隻あって、一隻当たり4人乗れる、よって、3×4である、と考えることも全然おかしくありません。むしろ、数の概算を求める際の発想は、大分類の個数をまず思い浮かべて、その大分類がどれだけの個体数を含むのかという順に考える方が自然で、だから3×4と考える方が、自然な気がするんですけどねえ。
教師としては、どっちも正解だし、このように考えたら3×4になるし、このように考えたら4×3になります、両方思いついた人いるかなあ、くらいのことを言えるのが理想的じゃありませんかねえ。
ただでさえ、柔軟な発想をすることが社会で求められているのに、
子供の思考の自由度を奪って画一化させるようなことをしてたら、時代の要請にもあってないといえるでしょう。
コメントいただきましてありがとうございます。
もしかして,算数(数学)を教えておられる教師の方でしょうか。
掛け算の順序を逆にしたものを不正解とされた生徒のお父さんから問題提起があったのは20年以上前のことでしょうか。
その後,教育現場においてどのようにするのかの議論が進んでいるのだと思います。
リンクした動画でも,バツにすることで子供の知的好奇心を削ぐことにならないよう適切な説明が必要と指摘しています。
私の投稿で,順序を逆にした回答にバツをつけるべきと言いたかったものではありませんと,お伝えさせていただきます。
この投稿では,現象を数式に翻訳することの重要性を語ったつもりです。
建築士が建築物の構造計算で安全性をチェックする時に,たくさんの公式を使います。これは力学的な性情を分析して数式に翻訳したものです。
決定している公式を覚えるだけの建築士と,力学的な性情を理解し自分で翻訳できてその公式を自分でも形成できる建築士とでは,理解のレベルが違います。
それは,分数の割り算は上下を入れ替えて掛け算すると方法だけを知っている人と,分数の割り算の本質を知っている人の違いと同様です。
この投稿では,「数式というものは,現象を翻訳して形成されたものである」ことを伝えて,「普段使っている力学公式の出発点となる事象を理解していないといけませんよ」という意味で,書いたものです。ぐるぐるさんから,コメントを頂きまして,私の投稿を読み返しまして,末尾で,本当に伝えたいものをちゃんと書いておけばよかったなと思っています。頂きましたコメントへの回答で,伝えたいことを追記させていただきました。
私は設計者の端くれで掛け算の順序はあると小学生の時から、おおむねここに書かれていることと同じ考えを持ちながら成長し、それを一般常識として今の設計作業でも役立てています。
しかし、どうしてもこの考えを理解していただけない場面があり、私の考えは間違っているのか不安になってしまいました。
実際のところ文章を読み取り=正しい順序で数式を書くという行為は間違いなのか?不安に思っています。
実際のところどの書き方が正しいのか?決まりのようなことがあればご存じありませんでしょうか?
ぶしつけな質問を書いてしまい誠に申し上げございません。
「文章を読み取り=正しい順序で数式を書く」ことが間違いなわけありません。
それができるから,数式が示す文章を想像することができます。
でも,「理解していただけない場面があり」ですよね。バツにされたお父さんはそうであり,それは多くの人にとってそうなのでしょう。
私は建築技術者として多くの数式を使う中で,数式の意味を頭の中で想像できるかどうかは重要なことと思っていますが,それを重要なことと思う人とそうでない人がいるようです。仕方がないのかなとも思います。
で,「どの書き方が正しいのかの決まりのようなもの」ですか。それはわかりません。「4×3」も「3×4」も同じと考える人がたくさんおられて,正しい書き方は明確ではないですね。
コメントいただき,ありがとうございまいた。そして,返事が遅れまして申し訳ございません。