清田区里塚地区の液状化の原因についての考察【続編・札幌市資料を見て】3

私の結論

そろそろ,私の結論をまとめます。

私が知りたかったのは,「なぜこの場所が大規模に液状化したのか」です。里塚で起きた液状化は,特殊なものです。私はそれを「液状化による地層内地滑り」と名付けました。この場所で液状化による地層内地滑りが生じたのは,川が流れていた谷筋を砂質土(火山灰を多く含んだ土)で盛り土して下流側に地下水をせき止めるような土があったため,盛り土全体の地下水位が高い状態に保たれたから,と推察します。

川が流れていた谷筋ですから傾斜地です。その下流側の土中に地下水をせき止めるような土がありそのあたりで地下水位が急に下がるとともに地表面も傾斜していて低くなっていたため液状化した土砂が上流側のものも含めて一気に噴き出してしまったものです。盛り土の地下水位を下げるための暗渠管は施工されていましたが,十分な能力は発揮されていませんでした。これは砂質土であるにもかかわらず透水性が低かった(と想定される)ことにも影響していると考えられます。

「なぜこの場所が」という問いの答えを,図10が的確に示しているように思います。それは,図01の模式図をほとんどそのまま示しているからです。私が想像した「下流部の土中にある火山灰Dvによって地下水が堰き止められ」は,本当に想像にすぎませんが,何らかの要因があってそこより上流側の地下水が高く保たれる何かがあったものと思います。

図10地下水断面図
図01液状化の模式図

この推察で何がわかるのか

さて,この推察で何がわかるのでしょうか。

それは,里塚で起きたことが全国どこの造成団地でも起きるわけではないということです。

里塚での液状化は,砂質土(火山灰)で盛り土された団地だから生じたのだと語られます。それ自体は正しいのですけど,里塚で起きたことは通常の液状化ではなく「液状化による地層内地滑り」です。図01の模式図や図10の断面図に示すような状態だったからこそ生じることです。高いところを削って低いところを埋めるという造成行為はどこの団地でも行われることですが,砂質土で盛り土すれば砂の隙間を通って水が抜けるので地下水位は高くはなりません。適切に暗渠管も配置されて地下水を抜く対策もされているはずです。このため,同じことが他の団地でも起きたりはしないと考えられます。ただし,傾斜地を埋めたところの下流側の地中内部に地下水をせき止めるような何かが存在していた場合は液状化による地層内地滑りが生じる可能性がありますから注意する必要があります。

最後に,札幌市がしている対策工事の感想を書きます。私なら地下水をせき止めるようになっている地層を置き換えて団地全体の地下水位を下げることを思考過程の第一に考えます。土の置き換えと暗渠管の追加です。液状化対策の最も明快な答えは地下水位を下げることですからこれを第一とします。札幌市の検討会でも地下水位を下げることの検討はされていますが,揚水試験の結果,期待した効果が上がらないため断念しています。地下水位はお風呂の水を抜くように短時間で抜けるものではありませんし,水位を低下させた結果さらなる地盤沈下も予想されますので,それを避けたかったことも理由でしょう。ただ,技術者としては,地下水位を下げるという教科書的な解決方法にこだわりたいです。「ならば,どうすればそれができたんだ。おまえならできたのか。」となりますが,申し訳ありません,札幌市の検討会に参加されているみなさまよりも高い見識を私が持っているものではありませんで,私にはわかりません。教科書的解決方法にこだわりたかったなという独り言でございます。

清田区里塚地区の液状化の原因についての考察【続編・札幌市資料を見て】2

里塚のこの場所がなぜ大規模に液状化したのか

私が知りたいのは「里塚のこの場所がなぜ大規模に液状化したのか」です。そのことが札幌市の検討会ではどのように議論されたのでしょうか。いえいえ,それが,液状化する条件,つまり,砂質土であること,地中水位が高いこと,地震波についてなどは議論されているのですけど,なぜこの場所がその条件にぴたりと当てはまるところだったのかは,あまり議論されていないのです。札幌市の議論は大規模な液状化が発生した事象を受けて,この団地を安定化させるための対応手法を検討することに主眼がありますから,「なぜこの場所が」というところを深くは議論していないのです。

そこで,札幌市が公開してくださっている資料から,私なりにその理由を想像してみます。

注目したのは,造成前の地形,造成前の三里川の位置と造成されて暗渠化された三里川ボックスの位置関係,造成による盛り土の範囲,盛り土の性状,地中水位などです。

まず,造成前の地形,造成による盛り土の範囲,液状化した範囲を見てみましょう。

造成前の地形は,

図02造成前航空写真

です。そして,造成後の地図と盛り土の範囲は,

図03盛り土範囲

です。そして,液状化した範囲は,

図04液状化範囲
図05沈下量・範囲

です。

団地造成で盛り土されたところは,造成前航空写真の段丘部と低地部とその少し北西側の辺りです。三里川が南西側から北東側へ流れる谷筋で,南東側の尾根部を削って盛り土したものです。高いところを削って低いところを埋め立てる,どこにでもある造成工事ですけど,この場所で特有のことは,谷に川が流れていて,その川はさらに上流(南西側)から流れてくるもので,造成する直前において上流側も下流側も盛り土された道路(国道36号と旧国道)によって埋設河川になっていたことです。そして,団地造成の盛り土で両方の道路の間を連続して埋設河川にしています。

液状化した範囲は,まさに国道36号と旧国道の間の谷筋を盛り土したところでして,造成前航空写真で示される低地部(以後,「旧低地部」という)のところが液状化による沈下が激しかったところになっています。その中でも最も沈下したところがポプラ公園の北東側の辺りで,そこよりも上流側の旧低地部(南西方向)へと帯状に大きく沈下した範囲が繋がっています。ポプラ公園のところの断面図が盛り土範囲を示した図に示されていまして,それがA-A’断面ですが,この断面図で青点で示される西側から1つ目と2つ目の旧水路(旧三里川)に挟まれる旧低地部,つまり,最も盛り土が深かったところが最も液状化の影響を受けていることがわかります。

図06ポプラ公園の東西断面図

ここまでが,液状化の事実でして,そろそろ,「なぜこの場所が」というところを考えていきます。

誰しも疑うのは谷にあった河川を造成工事で谷を埋めるにあたってボックス化したことの影響です。これが大きく損傷を受けていて河川の水がこのあたりの地中内にどんどんと流れ込んで地中水位を高くしていたのではないかというものです。でも,管の損傷はなく三里川ボックスから地中へ流れ出たことは報告されていません(第1回技術検討会議事録2ページ)。

谷底にあった河川をボックス化したことで私が気になっているのは,河道の高さ(深さ)です。ボックス化にあたって元あった谷底の位置(その深さ)で河道を埋設したのではありません。ボックスはポプラ公園の西側の道路の地下に埋設したのですが,その場所は,ほとんど切り盛りのないところで,谷底の旧河川の位置からはかなり高くなっているところです。

図07三里川ボックス位置

断面図で書けば,

図08三里川ボックス断面図

となっていまして,もしもこのボックスに損傷があって水が流れ出していたとすれば造成した盛り土へと水を供給する役割をしていたものですけど,損傷はなかったとされています。ただ,ボックスの位置がこの位置ですから,旧低地部を盛り土したところにたまる地下水を排出することはできません。

盛り土部分の排水がどうなっていたかといいますと,図07で暗渠管が薄紫色で示されていまして,団地造成で盛り土したところをカバーするように配置して三里川ボックスの少し下流部へ流すようになっています。

原因を考えるうえでこの暗渠管の排水能力が適切だったのかが,とても気になります。地下水位の状況の資料があります。

図09地下水位の分布

これによれば,地下水位が急に低下しているところがあります。ここがまさに液状化した土が噴出したところで,その上流側が地下水位が高かったから液状化現象が生じたわけで,この地下水位が急に低下するところの少し上流側に地下水位をせき止める何かがあったことになります。この部分の断面も資料として示されています。

図10地下水断面図

この図は,液状化の激しかったところを断面図にしたものです。これによれば,まさに地下水位が急に低下したその先で液状化した土が噴出していて,その上流側(大規模に液状化したところ)の地下水位が高い状態に維持されていたことがわかります。そして,地下水位が急に低下しているところの地下にあるのが図の薄紫の「火山灰Dv」です。青線で記載されている地下水位の変化から見ても,この火山灰Dvが地下水をせき止めていたように見えます。では,この火山灰Dvとは何でしょうか。その上にある黄土色が団地造成による盛り土なのですけど,図の書き方からして造成前からあったものだと思われますが,造成前航空写真ではそのようなものは見えません。札幌市HPの資料では,これが造成によるものか元の地形にあったものかわかりませんし,地下水をせき止めるような透水性の低い土質だったのかも公開されていませんので,この点に関する私の考察もここまでとなります。でも,この断面図を見る限り,この火山灰Dvが地下水位を高めていたように見えます。そして,造成時に作られた暗渠管ですが,この断面図を見る限り,盛り土の地下水位を十分に低下させるだけの能力はなかったように見えます。(それが不適切だったといっているのではありません)

液状化を考えるにあたって,地下水位を下げることができれば,これが最も明快な解決方法となります。札幌市の検討会でもボーリング抗の水を抜いて周辺の水位を下げる検討がされています(第2回技術検討会)。これによると目覚ましい効果はなかったことが示されています。大規模に液状化したところですから地質は砂質土でして,それは同時に透水性の高い土ですから1か所のボーリング抗で水を抜けば周辺の水をどんどん吸収して全体の水位が低下するものです。でもそれが起きていないのだそうです。これは不思議なことです。里塚のこのあたりの盛り土は,液状化をさせる砂質土ではあるが,粘土成分もそこそこには含まれていて透水性が低い砂質土だったということが考えられます。

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清田区里塚地区の液状化の原因についての考察【続編・札幌市資料を見て】1

北海道胆振東部地震により,清田区里塚地区で発生した大規模な液状化災害について興味をもって,当時,自分なりの想像でその原因を〈前回投稿〉と〈前々回投稿〉で考察してきましたが,発災時から2年を経過して札幌市による流動化対策工事が行われていて,その検討の過程が札幌市ホームページ上で公開されていますから,この公表資料で見えてきたことをまとめてみました。

私が,この里塚地区の液状化で興味を持っているのは,「なぜこの場所が大規模に液状化したのか」です。液状化の仕組みは解明されていますから

「なぜ液状化したのか」

その答えは,

「ゆるい砂質土で地中水位が高い地層に強い地震力が作用したから」

です。

学術的な答えはその通りなのですけど,私が欲しいのは,「なぜこの場所が,液状化する条件になっていたのか」です。「この場所は,谷筋を周囲の火山灰(砂質土)で盛り土したから液状化した」と言われるのですが,住宅団地は全国どこでも山を削って谷を埋めてできていますし,特に里塚周辺であれば盛り土に使われた土も周辺の火山灰(砂質土)だったはずで,里塚地区だけが特別に大規模に液状化したことの理由が説明できません。このページでは,できるかぎり

「なぜこの場所が,液状化する条件になっていたのか」

に迫ってみたいと思います。

参考にしました札幌市の資料は札幌市ホームページの「北海道胆振島部地震における地震被害対策」の「清田区里塚地区」で公開されています。このページでは4回の検討会と5回の地元説明会(うち1回は工事説明会)の資料が公開されていまして,これを読み解くことで液状化の様子や地盤の性状を見ることができます。

里塚で起きた液状化現象

里塚で起きた液状化現象は,これまでには見られなかったものであることが語られています(第1回技術検討会議事録2ページの「発生メカニズムについて」)。

液状化した砂は液状化したところの直上(または,その付近)で噴砂となって流出するものであるのに対して,里塚では斜面地の最も低いところへ集中して噴出しています。

このことを模式図で分かりやすく示しているのが,第2回説明会資料の25ページです。

図01液状化の模式図

液状化しなかった地下水位より上の盛り土が一定の強度を保っていて,地下水位より下の液状化した盛り土が上へ噴出することができず,傾斜地であったため下流側の非液状化層の薄いところへ集中して噴出した現象を分かりやすく示した図です。

液状化の現象は,科学的にかなり解明されていまして,液状化による沈下量も予測できるものなのですが,予測式(Dcy値)を大きく上回る沈下が生じてしまったのは,液状化した土そのものが下流へ逃げて行ってしまったことによるものです(第1回技術検討会2ページに関連した発言あり)。

で,この現象について,私は名前をつけたいです。液状化として語られていますが,液状化の中でも特殊なケースなんです。ですから,「特殊液状化」とか「液状化typeSATODUKA」というような通常の液状化ではないのだということがわかる名前をつけたいのです。で,その名前ですが,

「液状化による地層内地滑り」

で,どうでしょうか。里塚で起きた現象は,土が下流へ流されていく地滑りに近いものです。通常の地滑りは,せん断耐力を失った面より上の土が表層とともに下流へと移動するものですが,ここでは液状化しなかった表層部は一定の強度を保ち続けたため下流への移動はわずかで,沈下のみをしています。例えるなら,氷枕の中の水が口のところで抜け出してしまって頭が下がっていくような感じです。地中内の液状化によって耐力を失った部分が氷枕の水で,それだけが下流側へ移動して噴き出した現象なのです。ですから,地層内の液状化したところだけが地滑りしたという意味で「液状化による地層内地滑り」なのです。

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