清田区里塚地区の液状化の原因についての考察

<清田区里塚地区の液状化の原因についての考察>

北海道胆振東部地震により,札幌市清田区里塚地区で液状化が発生し公園や道路を含む多くの住宅が被害を受けました。

地盤の液状化は,砂質土で地下水位が浅いところが強い地震を受けたときに起きるものです。原因は学術的に分析されていますから,里塚地区で液状化が生じたのは「発生する条件になっていたから液状化した」ということになるのですが,私が気になっているのは,「里塚地区のこの場所がなぜ液状化の条件を満たしたところだったのか」です。

場所は,北広島市から札幌市へ伸びる国道36号線の旧道で北東側にこぶのように湾曲したところの内側になります。液状化したところは,例えば北海道新聞の次の記事「陥没被害の清田・里塚,札幌市作成「盛土造成地マップ」載らず」か北海道建設新聞社の「清田区里塚の被害甚大」で見ることができます。

で,液状化の原因として現在語られているものとしてはテレ朝ニュースの記事で「札幌市内の液状化は複合的な要因が原因」と日刊建設工業新聞の記事で「地盤災害緊急報告会開く」があります。この記事で語られているのは「谷筋を埋め立てた盛り土だったこと」「雨による地下水位の上昇が影響した」です。その原因は液状化する条件を満たすもので,それ自体は正しいのですが,雨は石狩平野の全域で降ったものですし,谷筋を埋め立てて盛土した団地はその近くにもたくさんあるので,「なぜその場所だけが液状化したのか」の答えにはなっていません。

そこで,私なりに,この原因を考えてみました。

液状化したのは上の図(国土地理院HPより利用)のところです。

1971年の航空写真(国土地理院HPより利用)では,この場所は,田んぼ(畑?)であったことがわかります。

発災当初には「川を埋め立てたところが液状化した」と報道されていましたが,小さな川があったのでしょうけど,河川を廃線したところが液状化したのではありません。この辺りの地形は,なだらかな丘陵地で液状化したところを含んで南西から北東へ伸びる農地の部分が谷筋になっていたところです。団地を造成するに当たって,南東側の森林の部分の土を切り取って農地部分の谷筋を埋め立てたものと思われます。

「谷筋を埋め立てたから液状化した」のであれば,この程度の盛り土はどこの団地でもあることですし,「陥没被害の清田・里塚,札幌市作成「盛土造成地マップ」載らず」で示されているようにこの近くにももっと大規模は盛り土がありますが,そのすべてが液状化したのではないことが説明できません。

で,私が考える液状化の理由は,

「旧36号線が堰堤となって団地の地下水を溜めこむ役割をした」です。

上図のように,旧36号線は三里川をまたぐように作られていました。団地が造成される前は旧36号線の下のトンネル(暗渠)を三里川は流れていて,それ自体は今も変わっていません。旧36号線の足元に川の出口が今もあります。旧36号線の南側で造成したことによって川としての形はなくなって,農地だったところ全体を盛り土したのですが,団地の地表に降る雨は水路などで排水しているのですが,盛り土の地下水は旧36号線の下のトンネル以外には出口がないのですから,相当流れにくい状態だったと思われます。地下水を旧36号線がせき止める形になっていて水位が高くなっていたことが液状化の要因だと思います。

上の模式図のように,団地の盛り土よりも前にあった旧36号線が堰堤のようになって地下水をせき止めていたのだと思います。

これが答えだとすると,今回液状化したところよりももっと旧36号線側が液状化しなかったのはなぜか,という疑問が生じます。ここは,実は団地が造成される以前から宅地化されていたところで,宅地化された期間の長さと盛り土の土質の違い(粘土成分が多かった?)で液状化を免れたのだと思います。

<上記の考察に何の意味があるのか>

9月24日時点で,液状化の原因についてHP上で検索して,「旧36号線が地下水をせき止める役割をした」と指摘するものが見当たらなかったので,私の個人意見をここに入れてみました。

ただ単に「盛り土をした団地だから液状化した」ということであれば,札幌周辺にも全国にもどこにでもある話で,このすべての安全性に疑問符がつくとなればたいへんなことになります。でも,里塚での液状化は,地下水がせき止められやすい形態だったことが原因であると特定できたならば,そのようなところだけに危険性を限定できます。

私の考察が正しいのかどうかはわかりませんが,原因究明のひとつのアプローチではあると思っています。

“清田区里塚地区の液状化の原因についての考察” への5件の返信

  1. はじめまして。私は今回の里塚1条1丁目で被災した建築士です。
    今回の極端な状況の原因を考えたく調べている時にこのページを拝見いたしました。私はここの分譲地を39年前に購入し翌年住宅を新築しました、その際以前沢地なのは聞いていましたがそんなに極端な沢ではなかったのでは無いと思っております、しかし造成以前や途中は確認していませんので真相はわかりません。ただ購入時に販売会社の説明でポプラ公園側の12m道路の下に暗キョウが入っていて沢水を流していますと聞いていましたので当時単純に聞き流したように記憶しています。そのころは国道36号本線の反対側はまだ未開発?だった(国土地理院写真による)ようで復元図によると現在の美しが丘小学校くらいまでは1960年ころ小川であったようですが土木課の説明では三里川暗キョウは当団地から始まっているとの説明でした、しかし1976年の」写真では現36号線の美しが丘側に国道下を貫通している?暗キョウの入口みたいな物が写って見えますが真相は不明ですが土木課の説明とは矛盾します。
    美しが丘側の造成時にその部分を(昔の川筋)をどのように処理したかは確認ができていませんが今回の震災で川筋通り小学校のグランドも被害を受けています。話がそれましたが当方の団地の暗キョウで処理するはずの河川の水が何らかの要因で暗キョウに沿ってと昔の川筋に分かれて漏れ皮肉にも排水のために設置された深さ10m下のボックスカルバート形暗キョウ(内寸w1500・h1700)でせき止められ?40年間ご推察のように火山灰に蓄積され泥水の入った風船が地震の衝撃で一気に破裂したのではと考えています。あくまでも想像です10月18日の2回目説明会で何が明らかになるのか一瞬でここまで甚大な被害をだした本当の原因が明かされるのでしょうか・・・・

    1. 液状化の被害を受けられた当事者の方ですか。
      お見舞い申し上げます,という型通りの言葉ではまったく不足かと思いますがお許しください。
      三里川の暗渠になった部分は12m道路の下に埋まっているのですか。そして,当時の川筋だった小学校のグランドも液状化があったのですか。
      当時の川が,どれほど深かったのか,それほどでもなかったのかはわかりませんが,川の深さが影響したとの見方はありますね。
      18日に2回目の説明会があるのですね。調査や原因究明がどの程度進んでいるものでしょうか。難問中の難問であることは事実で,調査にかかわるプロ(コンサルタントでしょうか,研究者でしょうか)が,真剣に取り組んでいるのだと思います。その原因究明の中で,「暗渠で処理するはずの水が,,何らかの要因で,,」の部分を解き明かしていくことになるのでしょう。

  2. 液状化範囲が均等に液状化しているのではなく,極端に激しく液状化しているところがあります。その部分が帯状に続いていますから,このために当初「河川を埋め立てたところが液状化した」とされたのだと思います。極端な液状化の部分がかつての三里川だったのだとしても,これほどに液状化の性状に影響を及ぼすほどの川幅と深さがあったようには思えません。極端に液状化した北東側のところは最も低くなっているところですから,言い換えれば最も地下水位が高いのですからそういう理由で液状化が激しかったと説明できますが,それでも,液状化の極端な違いを説明できていないように思います。

    1. こんにちは。大規模盛土造成地マップを
      見ていて思ったのですが、三里川の元々の
      源流って今の里塚霊園なのではないでしょうか。そして今、そこは地下水の供給源と
      なっていて地下水位の上昇の原因になっている事は考えられないでしょうか。
      子供の頃、その三里川源流部の谷の記憶があるのですが、霊園近くにその谷はあり、
      凄く急峻な谷でした。

      1. なるほど,真南からこの団地へ向けて谷筋が続いていたように見えます。そこには豊富な水があって,今は大量の地下水を供給している可能性がある。そうした要因は考えられます。
        「急峻な谷でした」
        なだらかな丘陵地なのだと思っていましたが,川のところはそうだったのですね。極端に激しく液状化しているところはまさに深い谷のところなのかもしれません。
        貴重な情報をありがとうございました。

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